詳しいプロフィール

 

現在に至るまで

私は九州の片田舎で19歳まで過ごし、大学進学のため上京、そして大学を卒業後に一部上場のファッションテナントディベロッパーに就職しました。

 

おしゃれな世界でバリバリ働こう!と意欲を燃やしていたのですが、非情な転勤命令。

で縁もゆかりも無い長野県にやってきたのです。

 

それは25年以上前・・・。

 

 

 

世間はバブル崩壊後で上へ下への大騒ぎの時代でしたが、まだまだ景気もそれほど深刻でなく忙しくも楽しく働いていました。

 

がある日突然、現状に疑問をいだき、会社を辞めて地元の大工さんの元で働きはじめたのです。

 

給料は以前とくらべて半分近くになりましたが、地方では生活できないほどではありません。

 

それよりも山の中でログハウスを建てたりできて、とても充実していました。

 

一度目の結婚、そして離婚

ただ数年後には地方にも景気悪化の波は押し寄せてきました。

 

お給料も遅配が重なり先行きに不安を感じるように。

 

ちょうどその頃お付き合いしていた女性との結婚話もあり、あっさり大工さんを辞め再び職探しを始めたのです。

 

ただ普通のサラリーマンに戻るのも嫌だったので、なにか独立して自営業をやりたいと考えました。

 

でも何が自分にできるのかわからない、何が稼げる仕事なのかわからない状況のなかで、偶然に会計事務所の職員募集の案内を見つけ応募。

 

会計事務所ならいろんな職種も見ることができるし、税金の知識も身につけることが出来ると思い応募したところ雇ってもらえることになりました。

 

そして就職してしばらくして結婚。

 

私は31歳になっていました。

 

しかし結婚から5年くらいたった頃、自分にはどうしても理解できないことがあり、いろいろと妻と衝突することに。

 

最終的に自分のなかで離婚を決意しました。

 

ただそのやり方が最悪でした。

 

相手ときちんと向き合おうとせず、妻を無視するという手段を僕はとったのです。

 

今にして思えば、最低最悪のモラハラです。今でも思い出すと自分に反吐がでます。

 

その状況に妻は耐えきれず家を出ていき、約1年後に離婚しました。

 

体に異変が・・・パニック障害

離婚が成立してしばらくすると私の体に異変が。

 

ある晩いつものように外でお酒を呑んでアパートに戻り寝ていたところ、夜中に突然目覚めました。

 

そして猛烈な不安感が次から次へと押し寄せてきたのです。

 

私はのた打ち回りました。その頃は3階に住んでいたのですがこの苦しさが止むなら飛び降りようとさえ思いました。

 

なんとか衝動を抑えましたが、その後も不安感という発作はたびたび押し寄せてきます。

 

最初は夜だけだったのが、昼間の仕事中にも起きるようになり、そして間隔も短くなり・・・。

 

場所と時に関係なく、不安感と焦燥感で心臓がバクバクし始め、手には脂汗がじっとりと滲みます。

 

たまらず知り合いのカウンセラーに相談したところ『パニック障害』だろうと言われ、心療内科に行くように勧められました。

 

でも自分的には精神科の病院に行くのは抵抗がありました。

 

病院に行くのをしばらくためらっていたら、通うはずの病院の先生がうつ病になってしまい結局、病院には罹りませんでした。(結果的には抗うつ薬などを飲まずに済んだのである意味ラッキーでした。)

 

それからネットや専門書の情報を漁り、必死で自力で治そうと努力しました。

 

その後周りの助けもあり、時間はかかりましたが、徐々に症状は収まっていったのです。

 

このパニック障害は言葉にできないくらい苦しいものでした。でもね、良いこともありました。

 

それは人の痛みが少しわかるようになったこと。

 

それまで私は『うつ病』や『自死』なんか、精神の弱いやつがなるもんだ、やってしまうもんだと思っていました。

でもそれは間違いでした。誰でもそうなってしまう可能性があるのです。

 

人になかなか伝わらない苦しみや痛みを感じることができたのは本当に良かったと思っています。

 

その頃、私はすでに45歳になっていました。

 

2度めの結婚、そして娘の誕生

今の妻とは随分前に知り合っていたのですが、特に顔見知りの一人という存在でしかありませんでした。

 

それがふとしたきっかけで親しくなり、彼女に対して恋愛感情が芽生えたのです。

 

ただ正直、彼女との年齢差は気になりました。

 

15歳差ですからね。

 

でも彼女は歳は気にしないから、一緒に生きていこうと言ってくれました。

 

そして一緒に住み始めて、しばらくして彼女は妊娠したのです。

彼女が妊娠した当初は、『あー妊娠しちゃったかー』と軽い気持ちでした。父親になる自覚など微塵もありませんでした。

 

でも彼女のお腹がだんだんと大きくなってきて、彼女が母親になっていく過程を間近で見るうちに自分の気持ちも徐々に変わっていきました。

 

そして無事に可愛い娘が誕生!

 

でも生まれた娘は2,300グラムを切った、とても頼りないものでした。赤ちゃんらしく泣くこともできず、お乳も自分で飲むことができませんでした。

 

自分以外の人間もこんなに愛おしいと思ったのは、自分でも意外でした。父親は母親と違って、自分のお腹を痛めて授かるものではありません。

その分、本当の意味での父親になるのは母親に比べて遅いのだなーと思います。

 

彼女との関係も当初は婚姻届を出さないつもりでしたが、娘の事を考えた結果、あたりまえに入籍しました。

 

私は47歳になっていました。

 

父親の自覚がでてきたと同時に将来について不安も芽生えました。

 

娘が大学まで進学するとしてストレートで卒業は22年後です。

 

つまり私は69歳。

 

会計事務所のサラリーマンのままだと定年になっています。

 

ここで再び独立の2文字が頭に浮かびました。

 

そして就農

 

『なぜ農業?』という人も多かったですね。

 

やはり僕は外で体を動かして何かを生み出すことが好きなんです。

 

応援してくれる方もいたので以前から興味があった農業の世界に飛び込みました。

 

ただ経済的な不安があったのも事実。

 

 

現在の状況

仕事は農業を続けていますが、規模が小さいといろんな工夫をしないと収入も大きくなりません。

 

現在は自分の畑もやりながら、勉強も兼ねて尊敬している方の農業法人で働かせてもらっています。

 

収入の大半はこの農業法人からの給料です。

 

焦ってもしょうがないので地道にやっています。その分の負担は妻にいっているので頑張らなくては!

 

でも体と精神はいたって健康!

 

昼間は外で働き、早く寝て早朝にパソコンに向かっています。

 

過去の自分中心の生活からは想像できませんが、

 

今は娘の成長と妻の笑顔が私の原動力です。

 

私のどうでもいい情報

・1967年製です。

 

・長野県松本市に住んでいます。

 

・出身地は長崎県です。誕生から20年間すごしました。

 

・家族は妻と娘、そして犬と猫が1匹ずつ。みんな大切な家族です。

 

・性格は基本的に真面目、だけど飽きっぽいかな。

 

・好きなモノは古いクルマ、バイク、自転車、お酒、Perfume。

 

・嫌いなモノは特になし。強いて言えば愚痴っぽい人。

 

こんな私ですがよろしくお願いします。

 

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