妻が「娘に習い事をさせたい」言ってきました。
娘は3歳になったばかり。
いわゆる早期教育というやつです。
わたしは反射的に「必要ないんじゃないかな!」と答えました。
と言うのも、自分の親が小さい頃から始める習い事に否定的だったからです。
また、友人や親類の子ども達を見て感じていたことがあります。
それは幼い頃から習い事をして「天才!」と言われた子どもたちが大きくなるにつれて「普通」もしくは「普通以下」になっていったということです。
それでも不服そうな妻の様子をみて、「ちょっと考えさせて。」と付け足しました。
実際、決めつけは良くありません。
早期教育はやったほうが良いのか真剣に考えてみることにしました。
早期教育とは
まず早期教育とはなんなのか?改めて調べてみました。
一言で言うと、大人の意向で(子どもの意思に関係なく)標準よりも早く言葉や数字、外国語、音楽、スポーツなどの教育を開始すること、とあります。
早期教育も大きく3つのジャンルに分かれているようです。
- 言葉・数字の学習を主体にする学習系
- 音や絵を通して創造的センスを開発する芸術系
- 一つのスポーツを積極的に伸ばす運動系
この中でも一般的に早期教育というと学習系をイメージする方が多いですね。
『ひらがなやカタカナを読める』、『数字を100まで数えられる』と言ったことを2,3歳時にマスターさせることです。
妻は公文に娘を行かせたいと考えていました。
なぜかというと自分が公文に通っていて、中学校までは勉強に苦労しなかったという体験があったからのようです。
ただし高校に入学してからは、急激に学習意欲がなくなったそうですが(苦笑)。
早期教育に意味があるのか
わたしが(学習系の)早期教育に否定的だったのは、まさに妻の体験したことなんです。
つまり、早期教育は他の子より早く掛け算や割り算、分数計算が出来るようになるけれど、その以上でもそれ以下でもない。
いずれ周りの子も追いついてくる。
別に周りに追いつかれても、本人が『この科目が好き!』とか『夢中になれる!』とかなら全然問題はないんです。
でもほとんどの親は『周りの子よりも勉強ができるように』、『希望する学校に入れるように』という相対的な有利性を求めて早期教育を施しています。
そして子どもはそんな親の気持ちを敏感に感じ取っていますから、周りの子に追いつかれるとプレッシャーを感じてしまう。
また最近では早期教育がデフォルト状態となっている傾向があります。
そうであれば親が求める先行者メリットもなくなってきますよね。
小学校入学時にはすでにみんな入学後に習う事をマスターしているみたいな。
逆にマスターしていないと入学時から学習面で遅れている状況となります。
そうなると学校教育の存在意義って?みたいな事になりかねません。
つまり早期教育が『何かを出来るまでの速さ』を目的にしているならば、それには意味はないのです。
それを裏付けるようなこんな記事もありました。
記事中には、『子どもの能力は環境要因よりも遺伝的要因が大きい』ので早期教育は将来的には意味がないと述べられています。
平凡的な能力しか持ち合わせていない親としてはちょっとせつない内容ですね。
が、『得意なことが必ずあるので、それが必要となる時まで待つ』とも述べられています。
そして一番大切なことは『子どもが自分を好きでいること』だとも書かれています。
そんな子供の脳の発達をパパ、ママがまず勉強するというこんなシステムをもあります。
早期教育の成功例は?
とは言っても『早期教育が成功した例』もあるのでは?と調べてみました。
これがですねー、ネット上ではなかなか学術的なものがみつかりません。
出てくるのは早期教育された知り合いの子が高校でドロップアウトしたとか、情緒不安定になったとか個人的な体験(しかも伝聞)が元になっている掲示板の書き込みやサイトばかり。
一種の早期教育への逆差別じゃないですかね。
『それ見たことか(周りを出し抜こうとするからバチがあたったみたいな)』という日本人的なやらしさを感じてしまいます。
一方、学習面ではなく芸術の世界やスポーツの世界で活躍している人は、なるほど早期教育を受けた方が多い気がします。
ただ成功の主な要因が早期教育だったのではなく、その人が持っていた才能であった可能性も高い気がしますね。
なぜならピアノを例にとると、そもそも3歳位で始める人がものすごい数いるからです。(必要条件であっても十分条件ではないという意味)
その中でもプロのピアニスト、しかも一流になる人はほんの一部です。
また学術的な早期教育の成否を述べた論文がみつからないのは、考慮すべき外的要因があまりにも多様なせいではないでしょうか?
『東大に受かった子の5割以上が早期教育を受けていた!』なーんて結果があれば一目瞭然なんですけどね。
実際はそんなデータはありません。
結局、早期教育は必要なのか?
いろいろ考えましたが、私は娘の公文行きに賛成しました。
それは早期教育が将来的に必要か、不必要かという判断基準ではありません。
娘の可能性を広げるためです。
そして今は迷路を鉛筆でなぞったり、ひらがな読み書きして楽しんでいます。
あえて『勉強する』ではなく『楽しむ』と書きました。
外でボール遊びするのと同じように、家の中で言葉を使って遊びをしているイメージです。
ですから強制はしませんし、辞めたいと言ったらやめさせるつもりです。
詭弁のように聞こえますが、今は娘本人が本当に楽しんでいるんですよ。
今後もわたしや妻がいろいろ提案して、本人がやってみたいと思ったものはすべてやらせてみようと思います。
実際にやってみて1回でいやになるものもあるかもしれません。
それはそれで仕方がありません。
大事なのは娘が心から楽しむことだと考えています。
5歳になったらギターかヴァイオリンを娘に提案してみたいと思います。